Journey through a region with a long history and rich traditions – Tottori Vol.2 –2019.09.09

一本の包丁に宿る真剣
鳥取県は日本海に面しているため、山間部は豪雪地帯が多い。その中でもかつて宿場町として栄え、今ではのどかな田園が広がる智頭町に、世界中のシェフが訪れる鍛冶屋がある。
なぜ鍛冶屋なのか。
その工房に伺うと、シェフたちがここの鍛治職人・大塚義文氏が生み出す珠玉の包丁に魅せられるからだということがわかるはずだ。
無人駅・土師駅のすぐ横に位置する工房には使い込まれた炉が存在し、大塚氏が厳選された鋼に焼き入れを行い、地金に挟み叩く。この作業を何度も繰り返し鉄の塊は徐々に包丁へと姿を変えていく。


「誰が、何のためにどう使いたいか、そういうことを知った上で包丁を作ります。例えば手は大きいか小さいか、野菜を切るのか肉を切るのか。細かく切るか大きく切り分けたいか。シェフそれぞれの個性に合わせないと最高の包丁にはならないでしょう」。
その言葉通り、大塚氏はシェフ平松大樹といきなり握手をする。握りの強さ、大きさ、握り方を確認するためだ。そうしておもむろに手元の水桜の枝を削り始める。握り手を調整し、シェフのもっとも握りやすい形に整えていく。そしてシェフの細かな要望を聞き、最終的な仕様を確認していく。

「鉄は、叩いて金属の粒子を砕き、また再結晶させてより微粒子化させることで、安定した強靭な包丁が生まれます」。
その言葉通り、狭い工房の中で火入れと鍛冶打ちが繰り返され、また焼戻しが行われ少しずつ鋼は包丁へと姿を変えていく。

「この前は、イスラエルのシェフが来ましたし、アメリカのシェフからも注文が届いています。ただし、本当に難しい包丁を作るには、自分自身の気力や体力が充実していなければできません。年に何度か特別な力が生まれてくることがあるんですよ」。
そう語って笑う大塚氏。平松シェフの究極の一本が出来上がる日は、その特別な一日になるのかもしれない。

和紙の可能性を求めて
鳥取県東部のかつて因幡国と呼ばれたエリアは日本最古の和紙が作られた場所として知られている。因州和紙は奈良時代に起源を持つといわれるほどだ。その中心地である青谷町で和紙の可能性を現代に伝えようと奮闘しているのが谷口・青谷和紙という工房だ。

「伝統的な和紙を現代にという思いから、私たち独自に生み出した技術が“立体漉き和紙”です」。
谷口博文社長の紹介の通り、それは見るからに複雑な立体的な造形を、シームレスに作ることができるという、ここだけにしかない技術だ。この特殊な技術に惹かれ、隈研吾氏や喜多智之氏といった著名な建築家・デザイナーがこの工房で作品を作り出している。

「和紙は思っている以上に堅牢ですが、本来平面で作られるものでした。それを継ぎ目なしで立体にするというアイデアが生まれ、試行錯誤の結果、立体の漉くことができるようになりました。ただし、どうやるかは門外不出ですが(笑)」。
谷口・青谷和紙では、それまで職人の勘に頼っていた和紙づくりを数値化することで工業製品として生産可能にするなど、様々な方法で和紙の魅力を現代社会に伝えようとしている。


「フランス料理というヨーロッパ発祥の食と、和紙という日本古来の伝統を結びつけてみるというアイデアから、新しい食の体験が生まれるのではと考えています」
シェフ平松大樹の頭の中にはどんなアイデアが閃いたのだろうか。